『幸せのメカニズム』という本を読んでいます。いま3分の2くらい読んだところなのですが、たいへん面白かったので感想を書きます。
著者の前野隆司さんは慶応大学で科学としての「幸福学」を提唱・研究されているとのこと。
前野さんは「無意識」を科学することにもご関心があり、私たち夫婦はそちら方面の関心から、前野さんの本を読むようになったのでした(前野さんの提唱する「受動意識仮説」は超エキサイティングです。私たちの「意識」は無意識によって事後的に作り出されているに過ぎないというんですから…)。
「幸福学」は「とっつきやすい」
私は常々、西洋哲学も仏教もキリスト教も、心理学もスピリチュアルも自己啓発も、コーチングも精神医学もソーシャルワークも、みんな、同じことを異なるボキャブラリーで言っているだけ、と周囲に言ってきました(妻は根気よくそれを「傾聴」してくれます。ありがたや…)。
「同じこと」というのは、要するに「苦痛をなくして幸せになる方法」です。
私にとって、前野さんの提唱する「幸福学」は、それら数々の「幸福になる方法」たちを科学的に統合する、大変わかりやすいものであるように感じられました。
というのは、数々の「幸福になる方法」には、それぞれに「とっつきにくさ」があるからです。
例えば、スピリチュアルには科学的なエビデンスがないので「怪しい」感じがすることがあります。精神医学は科学的だけど薬物療法に偏っていて、温かみが不足することがあります。特定の信仰にコミットすることに抵抗感のある方は多いでしょう。
そのようなとき、この「科学としての幸福学」が「とっつきやすい」のではないかと、私は思います。
(ちなみに、私はリカバリーに効果があり、なおかつ悪意がなければ、どんな方法でもいいという立場です。)
以下、メモ。
本書を読んで私が「へー、ほー、すげー」と思ったことや、それに私なりの解釈を取り混ぜたものを、以下にメモします。精確に理解したい方は本書を読んでください。
幸福には「やってみよう」「ありがとう」「どうにかなる」「ありのままで」の4因子がある。
「やってみよう」とは、私の理解では「コーチング」等で言われる「自己効力感(セルフ・エフィカシー)」に近い。「やれてる感」「自分にはやれることがある感」。
「ありがとう」は、他者に貢献し感謝されること。貢献させてくれる他者とのつながりの中にいること。そのこと自体への感謝。初期仏教でいう「慈悲の瞑想」に近いのではないか。
「どうにかなる」は、楽観性があること。たぶん、その前提として基本的な安全や安心の感覚があることまで含まれる。
「ありのままで」は、いわゆる自己受容・自己肯定。
4因子がいずれも高い人がいちばん幸せ。次に幸せなのが「やってみよう」と「ありがとう」の両方が高い人。まあまあ幸せに感じるらしい。
「どうにかなる」と「ありのままで」が高いだけでは、むしろ少し不幸せに感じる(意外!)。
私たちはどうすれば幸せになれるかとか、自分が何を幸せに思うかを案外わかっていない。誤解している。
「ピーク」と「エンド」に幸福でいることが重要。「終わりよければすべてよし」は真実。逆に言うと、ピークとエンドがよければプロセスが多少つらくても問題ない。
「幸福度が高い日」とは、人と関わる出来事があった日。
個人的には「自己受容と自己肯定のセットの方が幸福感を高めるのでは」という思い込みがあったので、楽観性と自己受容・自己肯定ができている(だけ)ではやや不幸に感じることや、それらが比較的低いままでも「やってみよう」と「ありがとう」がある人のほうが幸福度が高いのは、とても意外でした。
また、単に「いいこと」がポンと起きた日より、目立ったいいことはなくても人と関わった日の方が幸福度が高いことも、私にとっては「目からうろこ」でした。私のリカバリー戦略が変わりそうです。
そんなことを考えていたら、隣のおじさん(一人暮らし)が晩ごはんに誘ってくれたので、お隣へお邪魔してきました。夕方までは何も特別なことのない日でしたが、いまは確かに幸福感がありますね!
今日も読んでいただいてありがとうございます。
明日もうれしいこと楽しいこといっぱいあるといいですね!
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