「サイレント・プロシューマ」とは私の造語で、精神科医療や福祉の世界で医師や看護師、精神保健福祉士などの専門職として働いている人で、実は自分も精神科にかかっているけどそれを職場でオープンにしていない人のことです。
「(仮)」なので定義がまだ曖昧なんですが、燃え尽きて休職し、その病状が上司や同僚の知るところになった人たちも含めていいのではないかと思っています。
というのは、私が重要視しているのは、上記のような「職場での開示/非開示」といったことではないからです。
私が「サイレントプロシューマ」という言葉でなんとかその存在を明らかにしたい人たちは、ある共通のつらさ、苦しみ、生きづらさを持ったり、あるいは社会的な不利益を被ったりしています。
そういう、未だ公には声に出されないつらさや不利益のもとにある人たちに、名前をつけたかったのです。
サイレントプロシューマあるある
以下に、私が個人的な体験から勝手に想像する「サイレントプロシューマあるある」を挙げてみます。
自分にメンタルヘルスの不調や「生きづらさ」があることを周囲に打ち明けづらい
いちおう対人支援の専門職なので、「医者の不養生」に対する恥ずかしさのようなものがあります。「専門職として失格」「もう働けない」みたいに感じることもあります。
打ち明けられる安全な相手を周囲に見つけづらい
「周囲」は同職集団です。「どう思われるか分からない」「ふだん自分たちがしているように分析されるのではないか」「それはイヤだ」という恐れや不信感があったりします(そもそもメンタルヘルスが良くないこともあるため、なおさらです)。
それまでの自分や所属する職場が患者さんや利用者さんにどのような姿勢で臨んでいたのかが、そのまま自分に跳ね返ってくるところでもあります。
同じ保健所管内や都道府県内の精神科医療機関には安心してかかりづらい
相談員であれば「市町村」「保健所管内」といった一定エリア内の他機関と日常的に連携をとって仕事をするため、そのエリア内の病院や相談センターは知り合いばかりです。
医師が病気になった場合はもっと悲惨で、県内全域に同じ大学や医局の出身者が散らばっています。そのため、プライバシーを守りながら安心して治療を受けることがたいへん難しくなります。
ちなみに、私が最初に通ったクリニックは車で2時間のところにありました。その後も相談員を雇用していない(=これまでもこれからも仕事で絡む可能性のなさそうな)クリニックを選んで利用していました。
休職してリハビリが始まっても、安心して通える場所が見つけづらい
うつや適応障害などのリハビリには「精神科デイケア」や「地域活動支援センター」などの通所先があると大変効果的です。しかし、案の定、自宅から通える先はことごとく「知り合い」の職場です。
畢竟、私たちの「リハビリ」は家事や図書館通いなどのソロ活動がメインになり、その内容も貧しく、しだいに煮詰まってきます。
集団で取り組むタイプのリハビリに参加しづらい。
上記の理由で「集団認知行動療法」や「自助グループ」「当事者研究」などの、グループで行うタイプの効果的なリカバリー方法を活用することが難しくなります。
私は2度めの燃え尽きのとき「さすがにこのままではまずい」と思い、勇気を出して匿名の自助グループに参加し、大変救われた思いがしました。
その他の社会資源も活用しづらい。
手続き窓口がたいてい市町村の保健課や福祉課なので、使いたいサービスがあってもそこにいる担当者は「知り合い」です…。
上記のような悩みや療養中の気持ちを共感的にシェアできる仲間(ピア)を見つけづらい
多分たくさんいるのでしょうけど、お互いサイレント(隠している)なので出会うことがありません。
当事者としての気持ちが分かるようになるので、同僚や他機関の支援方針に違和感を抱くようになる
「サイレントプロシューマ」な方は、そもそも不調になる前からちょっと「熱い」タイプの支援者だったのではないでしょうか。
私の場合、それは「当事者としての自分」を知らず知らずのうちにクライエントに投影して職務に臨んでいたからでした。
これがいよいよ「当事者」としての自覚を持つようになると、これまで自分がしてきたことや、いま同僚や所属先の機関が行っている「支援」の中に、「当事者の自分だったらされたくないこと」が多数含まれていることに、ますます敏感になります。
そして、そのことで引き裂かれたような気持ちになり、アイデンティティがゆらぎ、職場の中で心理的に孤立することがあります。
そのことを言えない
でも周囲にはそのことを言えません。カミングアウトになってしまうからです。
一般の患者さんや「ピアスタッフ」がうらやましい
私の場合、カミングアウトして堂々と活動をしている当事者たちをうらやましく感じるようになりました。彼らに多くの仲間がいることもまた羨望の的でした。
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治療者や支援者の手の内が分かってしまう
処方の内容や面談時の質問などで、自分の主治医や担当相談員が何を探ろうとしているのか、どう見立てているのかが、だいたい分かってしまいます。また、素直に答えることが難しいときもあります。
治療者や支援者も「手の内」を分かられるのが怖いので、治療や支援が型通りになる
相手もやりづらいですよね。
おわりに
「あるある」はまだまだあるような気がします。
(私は地域づくりもしていたので、「薬を飲んでいるからお酒を飲めないのだけど、地域の方々との飲み会のときにそれを言えない」という苦労もありました。
また、「職場で昼の薬を飲みづらい」など、就労支援でいう「非開示就労あるある」がそのまま自分にも当てはまることがよくありました…。)
今後、これらの困りごとに対してどのようなサポートがあればよいか、あるいは自分だったら何があったら嬉しかったかを考えていきたいと思います。
ご自身が「サイレントプロシューマ」だとお感じの方がいらっしゃいましたら、お話ししてみたいのでぜひご連絡ください。
minaunitforrecovery@gmail.com (竹内)
今日も読んでいただいてありがとうございます。
明日もうれしいこと楽しいこといっぱいあるといいですね!
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